コンプライアンスといえば、BPO(放送倫理・番組向上機構)という言葉が最近先行しています。
そもそもコンプライアンスとは、法令遵守(順守)、英語の意味では「応諾」とか「要求に応じること」です。
決して法令や決まりを守ることだけを意味しているのではありません。
最近、番組やドラマで強盗犯がシートベルトするシーンが多くなりました。
正直冷めます。確かにシートベルトは、しないとなりませんが、犯人や強盗犯が瞬間にシートベルトをしますか?疑問です。
確かに、公序良俗、法律に反する事を推奨しろというわけではありません。
環境の変化を敏感に受け止め、その趣旨に十分配慮した番組、ドラマ、イベント作りを進めるべきであると考えます。
ドラマや映画、アニメはフィクションです。
視聴者は、様々な配慮(現実、シートベルトをしないであろう状況だが装着させている)の中、
大事なシーンをどう理解するのか。賛否両論だと思います。
テレビがつまらないと言っているのは昔の世代の人たちが大半です。
一方、若い世代はネットで昔の番組にふれ「昔のバラエティーは無茶苦茶で面白い」と言う意見もあります。
いつの時代も若者は過激なものに惹かれるものです。
今の時代面白いと言われる番組はダウンタウン等が多いです。
制作側は仮説を立てバラエティーで批判も出る番組もありますが、独特な視点でしっかりと「お笑い」ルールに挑んでいる番組はあると私は考えます。
もちろん、視聴者やコンプライアンスの境目を攻めてるいるから「笑い」が評価をされるのですが、そんな甘い時代ではないのが現実です。
昔たけしさんがされていたお笑いウルトラクイズのような番組が減りました。
無茶苦茶な番組に感じますが、このご時世見たくなりませんか?過激でしたが今も一定数観たいという支持があるように思います。
今は「テレビはお行儀よく教育に‥‥」が主流です。
最近はこういう路線とは違う方向で、可能性を感じさせる番組も出てきています。
例えば、テレビから学ぶ可能性や面白さから感じる感性のある番組です。
コンプライアンスを重視した上での番組作りはもちろん大切です。
しかし視聴者、聴視者は「人を傷つける」「不快に思わせる」といったものはふさわしくないと感じている、
イコール「コンプライアンス」ではないのではないかと感じます。
これからは法令やコンプライアンスのあり方を工夫していかないといけないと考えます。
こういったものに明確な線引きはないのでしょう。
子どもの見るアニメなら、時代背景が昭和でもシートベルトはした方が交通安全を考えるためによさそうですし、
事件の真相を伝えるドキュメントドラマなら危険性や凶暴性を訴えるためになしにする選択もあるのかもしれない。
とても難しい判断ですが、ケースごとにちゃんと向き合う。これこそがコンプライアンスが機能するという事だと思います。
ここ最近バラエティーもコンプライアンス重視で面白さが半減したように思えて仕方ありません。
新たな開拓をしている最中かだとしても、この環境下での企画や映像表現の変化は、「進化」と呼べるのか疑問です。
お笑いですらコンプライアンスにとらわれすぎています。
番組を見て何気ない家庭での会話、笑いが少なくなってきたのではないかと私は個人的に感じます。
とても悲しいです。
言葉一つや演出で人はある面自殺やいじめに追い込まれる可能性はあります。
それでも我々制作側は何とか前進しようと試行錯誤中です。
何故こんな定義をするかと言いますと、人間十人十色だからいじめられたり嫌な事があっても嫌なら嫌だ!
悪かったらごめん!と言える時代が来ないといつまで経ってもいじめなどは悪化する一方です。
その反面、悪い事をした人間は一生悪いという決めつけはいけません。
我々制作側は社会の風潮に囚われず、公平にジャッジする責任を背負いながら作品作りに挑んでいかないとなりません。
しかし人間は油断すると間違いも犯します。
社会全体でもっと良くする為にはこういう番組、イベントが欲しいという素直な気持ちを色眼鏡ではなく、
楽しんで皆様方が加わって頂ける作品作りを邁進しなければと思っております。
この様な皆様方のお声を遠慮なく発信して共に良いものを制作していければ幸いです。
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